戦略学と平和学2010/12/19 16:14

3ヶ月以上もこのページをほったらかしにして、申し訳ありませんでした。「平和学」が本業ではない、とはいえ、別段War Studiesの勉強がはかどっていたわけでもなく、学問的にはカラッポの生活を送っていたということです。

そこでまたしてもお茶を濁すブログエントリーで申し訳ないが、文献目録を再提示したいと思う。今度の種本は『戦略原論』(日本経済新聞出版社)IIIー第13章「平和思想――平和への戦略アプローチ」である。この章の執筆を担当したのは、『はじめて出会う平和学』(有斐閣)の執筆者代表の一人である中西久枝である。よく平和学をメシの種にしている先生が「戦略」などという硝煙臭い本に寄稿したものだという感想は置いておいて、章末に挙げられた「読書ガイド」を紹介したいと思う。

■アマルティア・セン著、東郷えりか訳『人間の安全保障』集英社新書、2006年
■石津朋之編著『戦争の本質と軍事力の諸相』彩流社、2004年
■稲田十一『紛争と復興支援』有斐閣、2004年
■C・G・ウィーラマントリー著、浦田賢治編訳『国際法から見たイラク戦争――ウィーラマントリー元判事の提言』勁草書房、2005年
■大芝亮、藤原帰一、山田哲也編著『平和政策』有斐閣ブックス、2006年
■大坪滋編著『グローバリゼーションと開発』勁草書房、2009年
■加藤朗『入門・リアリズム平和学』勁草書房、2009年
■メアリー・カルドー著、山本武彦、宮脇昇、木村真紀、大西崇介共訳『グローバル市民社会論――戦争への一つの回答』法政大学出版局、2007年
■Johan Galtung. "Violence, Peace, and Peace Research," Journal of Peace Research, Vol. 6, No.3(1969)
■吉川元『国際安全保障論』有斐閣、2007年
■吉川元『民族自決の果てに――マイノリティをめぐる国際安全保障』有信堂高文社、2009年
■Webel Charles and Johan Galtung, eds., Handbook of Peace and Conflict Studies (Abingdon: Routledge, 2007)

本当に平和学の研究に身をささげたいならば、ここまでの3回の記事に掲載された平和学の文献は読み流すだけでも構わないから、目を通して欲しい。わがままを承知で言えば、英語文献を優先して読んでいただき、可能ならば私訳でもいいから和訳して、同志の間で読み比べをしてみるという手もある。日本の平和学は自国を防衛する必要が薄く(本当はそうでもなかったのだが)、自らが銃を取って外国を侵略することを防ぐという問題に全力を注いでいた感は否めない。これからの平和学は地球の裏側における戦争と平和の問題をも自らの問題として考えられる頭脳に期待している。

実は正直言って、平和学を専門にしていない私の望みは、権力の側に立って軍師として国家戦略の采配をふるう、昔ながらの臣の姿であった。そこにはほかの臣や臣民の姿は存在しなかった。いや、今でもそんな白昼夢を見ることがある。

平和学を専門とする者はそんな近視眼的な見方をしてはならない。でき得れば、自ら論文を書く傍ら、平和活動を実践する人たちをある程度現場に近いところで(かえって現場に行ってしまうと活動の邪魔になることがあるので)観察して欲しいものである。その時得た感情をも含めて論文執筆のエネルギーにして欲しい。


平和学の二人の大家2010/09/10 01:08

今回も備忘録的なエントリーになるのが申し訳ありません。
平和学の大物といえば、どうやらノルウェーのヨハン・ガルトゥングとノルウェー系アメリカ人のエリース・ボールディングのようだ。ところが、何だか平和大国であるらしい日本ではこの二人の著作がほとんど和訳されていないという事態に陥っている。英語を読める学者だけが二人の業績に接して、ほかの人たちは学問の系統を無視してオナニズムに陥っているのだろうか。
とりあえず、Wikipedia日本語版からではあるが、二人の著作を書き抜いておきたい。まずはヨハン・ガルトゥングである。ガルトゥングは結構和訳も出ている。スポンサーがあの大宗教家だからだろうか。ただし市立の公共図書館レベルでは置いていない可能性が高いようだ。

単著
『平和への新思考』(勁草書房, 1989年)
『90年代日本への提言――平和学の見地から』(中央大学出版部, 1989年)
『仏教――調和と平和を求めて』(東洋哲学研究所, 1990年)
『市民・自治体は平和のために何ができるか――ヨハン・ガルトゥング平和を語る』(国際書院, 1991年)
『構造的暴力と平和』(中央大学出版部, 1991年)
『平和的手段による紛争の転換――超越法』(平和文化, 2000年)
『平和を創る発想術――紛争から和解へ』(岩波書店, 2003年)
『グローバル化と知的様式――社会科学方法論についての七つのエッセー』(東信堂, 2004年)
『ガルトゥングの平和理論――グローバル化と平和創造』(法律文化社, 2006年)

共著
(池田大作)『平和への選択――対談』(毎日新聞社, 1995年)
(安斎育郎)『日本は危機か』(かもがわ出版, 1999年)
共編著
(藤田明史)『ガルトゥング平和学入門』(法律文化社, 2003年)


対して女性であるエリース・ボールディングは和訳が非常に少ない。

単著
Children and Solitude, (Pendle Hill Publications, 1962).
松岡享子訳『子どもが孤独でいる時間』(こぐま社, 1988年)
Born Remembering, (Pendle Hill Publications, 1975).
The Underside of History: A View of Women through Time, (Westview Press, 1976, Rev. ed., 1992).
From a Monastery Kitchen, (Harper & Row, 1976).
平野威馬雄訳『修道院の台所から』(文化出版局, 1980年)
Women in the Twentieth Century World, (Sage, 1977).
Building a Global Civic Culture: Education for an Interdependent World, (Teachers College Press, 1988).
One Small Plot of Heaven: Reflections on Family Life by a Quaker Sociologist, (Pendle Hill Publications, 1989).
Cultures of Peace: the Hidden Side of History, (Syracuse University Press, 2000).

共著
The Social System of the Planet Earth, with Kenneth E. Boulding and Guy M. Burgess, (Addison-Wesley, 1977).
The Future: Images and Processes, with Kenneth E. Boulding, (Sage, 1995).
(池田大作)『「平和の文化」の輝く世紀へ!』(潮出版社, 2006年)

編著
New Agendas for Peace Research: Conflict and Security Reexamined, (Lynne Rienner Publishers, 1992).
Building Peace in the Middle East: Challenges for States and Civil Society, (Lynne Rienner Publishers, 1994).

共編著
Power and Conflict in Organizations, co-edited with Robert L. Kahn, (Basic Books, 1964).
Bibliography on World Conflict and Peace, co-edited with J. Robert Passmore and Robert Scott Gassler, (Westview Press, 1979).
Social Science Research and Climate Change: An Interdisciplinary Appraisal, co-edited with Robert S. Chen and Stephen H. Schneider, (D. Reidel Pub. Co., 1983).
Peace Culture and Society: Transnational Research and Dialogue, co-edited with Clovis Brigagao and Kevin Clements, (Westview Press, 1991).

日本の学会は21世紀の今日になっても女性差別をしているのか。それともエリース・ボールディングが多作家なのか、とにかく和訳が少ない。ここら辺は日本の平和学者に猛省を迫りたい。むしろ経済学者で夫のケネス・ボールディングの方が平和学者として有名みたいだし……

本当に平和学を勉強するなら、ここの近所だと中大か創価大に行って、図書館への入場を許可してもらわなければならないようだ。


まずは平和学の基本文献から2010/09/08 12:21

というか、私の専攻は安全保障論とか(軍事を含む)大戦略なのであるが、ここアサブロ(asahi-net)ではそういう戦争賛美のような文章を書くことが許されていない。

ただ、戦争論に対する平和論について偵察を行うのは極めてビジネスの思考に似合っているのではないか。某大学で「債務論」があるのに「債権論」がない、とか清水から逃げ出してしまったT大学みたいに「平和論」があっても「戦争論」がないとか、少し頭を柔軟にすればいくらでも一般大学でも軍事教育(戦前の旧制中学にあった軍事教練ではない)を行うことも可能である。

とはいえ、同じコインの表裏を「戦争」から見ているものはウヨクだの保守反動だの愛国だのとケチをつけられるが、「平和論」の名称で論じていればとりあえずその非難は回避できるという状況にある中で、「安全保障論]や「平和学」の名称の講義で実質戦史や日本が海上封鎖にどれだけ弱いかと行ったことが理解できる可能性が高まる。

さて、本来ならば早速ブログ主自身の「平和論」を開陳したいのだが、私自身は「安全第一」のような「平和第一」主義を取っていないので、本来は不向きである。それゆえに今日のエントリーは、簡単な文献目録を用意するに留めておく。ただこの目録は、平和学を専攻している先生にリストを教わったものではなく、地元の中央図書館で図書コード319.8の書籍を本棚から適当に選んだようなもので、本当の基礎文献が抜けている恐れがあることをここで付記したい。

★『はじめて出会う 平和学』未来はここからはじまる
児玉克哉・佐藤安信・中西久枝著 有斐閣刊(有斐閣アルマ)

バーバラ・ロガスキー『アンネ・フランクはなぜ殺されたか―ユダヤ人虐殺の記録』
岩波書店刊 1992年

ベルント・シラー『ユダヤ人を救った外交官―ラウル・ワレンバーグ』
明石書店刊 2001年

ヘンリ・ワルター『コルベ神父の生き方』
フリープレスサービス(星雲社刊) 1996年

レビン・ヒレル 『千畝――一万人の命を救った外交官杉原千畝の謎』
清水書院刊 1998年

大江健三郎 『ヒロシマ・ノート』
岩波新書 1965年

児玉克哉編 『世紀を超えて―爆心地復元運動とヒロシマの思想』
中国新聞社 1995年

ジョン・マーシー 『ヒロシマ(増補版)』
法政大学出版局 2003年

田城明 『現地ルポ 核超大国をゆく―アメリカ、ロシア、旧ソ連』
岩波書店 2003年

大久保泰甫 『ボワソナアド―日本近代法の父』(岩波新書)
岩波書店 1977年

峯陽一・畑中幸子編著 『憎悪から和解へ―地域紛争を考える』
京都大学学術出版局 2000年

朝日新聞社 『平和学がわかる』(アエラムック)
朝日新聞社 2002年

池尾靖志 『平和学をはじめる』
晃洋書房 2002年

岡本三夫・横山正樹編 『平和学の全体』
法律文化社 1999年

ヨハン・ガルトゥング、藤田明史編 『ガルトゥング平和学入門』
法律文化社 2003年

植田和弘・喜多川進監修 『循環型社会ハンドブック』
有斐閣 2001年

地球環境研究会編 『地球環境キーワード事典(四訂版)』
中央法規出版 2003年

戸崎純・横山正樹編 『環境を平和学する――「持続可能な開発」からサブシステンス志向へ』 法律文化社 2002年

野村卓史 『風車のある風景――風力発電を見に行こう』
出窓社 2002年

明石康ほか 『日本の領土問題』
自由国民社 2002年

赤根谷達雄・落合浩太郎編 『「新しい安全保障」論の視座――人間・環境・経済・情報』亜紀書房 2001年

児玉克哉、ホーカン・ウィベリー編 『新発想の防衛論――非攻撃的防御の展開』
大学教育出版 2001年

和田春樹 『北方領土問題――歴史と未来』
朝日新聞社 1999年

臼杵陽 『イスラムの近代を読みなおす』
毎日新聞社 2001年

片倉もと子・梅村坦・清水芳見編 『イスラーム世界』
岩波書店 2004年

公共哲学ネットワーク編 『地球的平和の公共哲学――「反テロ」世界戦争に抗して』 東京大学出版会 2003年

吉川元・加藤普章編 『国際政治の行方――グローバル化とウェストファリア耐性の変容』 ナカニシヤ出版 2004年

明石康監修・久保田有香訳編 『21世紀の国連における日本の役割』
国際書院 2002年

上杉勇司 『変わりゆく国連PKOと紛争解決――平和創造と平和構築をつなぐ』
明石書店 2004年

佐藤安信 「平和と人権のための国際協力――カンボディア・UNTACの現場から」
『国際協力研究』11巻2号

上智大学社会正義研究所・国際基督教大学社会科学研究所編 『国際協力と日本国憲法――21世紀への日本の選択』 現代人文社 1998年

福田菊 『国連とPKO――「戦わざる軍隊のすべて」(第2版)』
東信堂 1994年

馬橋憲男 『国連とNGO――市民参加の歴史と課題』
有信堂高文社 1999年

高柳彰夫 『カナダのNGO――政府との「創造的緊張」をめざして』
明石書店 2001年

毛利聡子 『NGOと地球環境ガバナンス』
築地書館 1999年

吉田鈴香 『NGOが世界を拓く――NGOマニュアルガイド』
亜紀書房 1995年

開発教育推進セミナー編 『新しい開発教育のすすめ方――地球市民を育てる現場から(改訂新版)』 古今書院 1999年

西田勝・平和研究室編 『世界の平和博物館』
日本図書センター 1995年

ピースボート編 『戦争を起こさないための20の法則』
ポプラ社 2003年

歴史教育者協議会編 『平和博物館・戦争資料館ガイドブック(増補版)』
青木書店 2004年

平和主義に関する論述を始めるにあたって2010/08/23 06:30

どちらかというと、平和主義に好意的なブログを書くつもりであるが、この「平和主義」という用語に関する日本語と英語(米語?)のギャップについて述べたい。

2010年5月24日、東京六本木で日米安保条約改正50周年記念円卓会議というものが開かれた。主な議論は同年6月23日付の産経・朝日・日経の各新聞に意見広告として掲載されたので、興味のある方は見ていただきたい。

ここで私が論じたいのは、この会議における日本側の議長を務めた、伊藤憲一日本国際フォーラム理事長が発言の中で「平和主義」という用語を何度か用いたことである。

伊藤理事長の発言の要旨は、PKOやPKFに積極的に参加し、世界秩序の安定を目指したいというものであるが、日本語の「平和主義」を英語に訳すと"Pacifism"という単語しかない。この英単語には自分は危険なところから逃げておいて、社会の秩序にただ乗りするという悪い意味しか存在しない。伊藤理事長の英語力ならばそのあたりは合衆国側の参加者に説得できたかもしれないが、日米共同会議で同時通訳がついていた関係上、理事長は日本語で話を交わさざるを得なかった。

そこで伊藤理事長は「積極的平和主義」という用語を用いて、日本は決して国際秩序のフリーライダーではない、という認識を占めそうとしたが、アメリカ側の参加者全員に納得してもらえたかどうかは不明である。

日本が冷戦構造下で日本一国の平和を守れば事足りる時代には"Pacifism"でも構わなかったが、米ソ冷戦終結後の現環境下では"Pacifism"ではない平和主義が求められるのではないか。